スマホの見過ぎでがんになる

前回水素水についてブログを書いたが、それに関連してトンデモ科学について考えてみようと思う。スマホの見過ぎでがんになる、と言われたらどう思うだろうか。これぞまさにトンデモ科学、スマホ見過ぎでがんになるならそこらじゅうがんの人だらけだ、と思うだろう。タイトルの書き方が少し悪かった。スマホの見過ぎはがんのリスクをあげる、だとどうだろうか。何が変わったんだという感じだが、個人的にこの主張は無視できないと思う。

スマホの光はいわゆるブルーライトを含む。昼間のブルーライトは問題ないが、夜間に目に入ってくるブルーライトは我々の概日リズム(1.2年前にノーベル賞になったやつ)を乱す。概日リズムの乱れは代謝に影響を及ぼし、代謝と密接な関わりにあるがんの発生に影響を及ぼしうるかもしれない。

と、簡単に書いた。スマホブルーライトを含む、夜間のブルーライトは概日リズムを乱す、概日リズムの乱れは代謝の異常を起こす、代謝と発がんは関連している、など個々のパーツはある程度(ここ重要)証明されている。だがスマホ→がんという図式は証明されていない。この証明には前回のブログと同様ランダム化された比較試験を行う必要があるだろうが、無論そんな研究はない。まずスマホというものがあまりにも溢れすぎていて、それが発がんに関連すると疑っても検証が困難になっている。喫煙率が高すぎて喫煙と肺がんの関係がほとんど埋もれていたかつてのアメリカを思わせる。

では、このように証明されていないことについては全く信用しない方が良いのであろうか?スマホはがんに関係しないから布団の中でがっつりスマホを見るのは好ましいのだろうか?前回の記事ではエビデンスのないものは信用しないのがよいという口ぶりで書いたが、場合によりけりだと思う。すなわち、完全にエビデンスがあると証明されたものしか信用しないなら科学は一歩も進歩しない。新しいものは初めはエビデンスがなくて当たり前である。大切なのは、論理的に考えて仮説を立てて検証をするという、当たり前のことである。スマホの例だと、各パーツについてそれぞれ証拠があり、論理のつながりもまあありえそうである。だから全面的には信用しないが切り捨てはしない。

世の中のほとんどのものは中庸が大切だ。エビデンスがないものは信用しない。が、完全なエビデンスがなくても信用したほうがいいものもある。バランスというのは難しい。