童貞は恥ずかしい問題

処女は人気あるのに童貞は不人気なのは何故との問いに答えた有名なコピペがある。要約すると、童貞は一度も攻め入ったことのない兵士であり処女は一度も破られたことのない城である。故に処女が価値を持つのは明白であると言ったものだ。初めて見たときはなるほど!と思ったが、この手の言葉遊びには注意する必要があるだろう。男を兵士に、女を城に例えた比喩には巧みなところがあり、そこに性行為の問題を重ね合わせ耳触りの良い理論を構築している。童貞が攻め入ったことのない兵士というのはまあそうなのであろう。しかし処女が一部の男どもにありがたがられているのは、守りが堅い城のごときものであるからではなく、まだ誰にも純潔を奪われていないところとか、槍マンではないところとかが重視されているからであろう。にもかかわらずこのコピペでは処女は守りの堅い城だという。女性は純潔であるべきだという一般には受け入れ難い言説から目を逸らさせるがごときコピペである。少し穿った見方であろうか。

話は変わるが自分は童貞が恥であるという感覚をあまり理解できずにいた。大学はクラスもサークルもいい子ちゃんばっかりだったこともある。まあ頭では理解はしているが、実感としてはちんちんを入れる入れないの何が大切なのかわからないといった具合である。だがTwitterをはじめてこのような感覚が実感とともにわかってきた。ホモとして童貞を卒業するすには、Twitterでひとかどの地位を築き(これには顔面やツイートの質の問題も関わる)、それに続くリアルにおいてもそれなりの成績を残し、最後にはそういう雰囲気に持ち込むと。なかなかの技量を要する。だからこそ非童貞が価値を持つと。陳腐ではあると思うがそのような感覚だけは理解した。