ああああ

ニヒリズムに陥るなんて青臭いしそんなのは高校生くらいまでにしておけなんてたまに言われるけど、どうせ死ぬのになぜ生きるかなんて明確な答えはないし一生をかけて少しずつわかっていくものだと思う。一つよく模範解答としてあげられるものとして他人を幸せにするために生きるのだという。確かにそれを生きがいにしている人は多いし人として正しい態度なのだという気がする。でもやっぱり自分みたいな凡夫としては人間の世界で生きているとほとんど必ず目にする人間の汚いところがいちいち気になって、他人の幸せのために生きるなんて到底できないと思うことがある。なので刹那的に生きることも悪くない、むしろそれが重要だとさえ思う。だからあのテレビが楽しみだからとか、あそこの店のラーメンが美味しいとか、Twitterのイケメンの動向が気になるとか、だらだら続く日常が愉快だとか、そういうものも生きる理由になると思う。目先の快楽に興じるエロ垢が一週間に7回ヤってるのをみても別におかしいと思わないしそれに全力を捧げるような態度は潔くて悪く無い。年老いて売れなくなったら俳句でも音楽でも、なんでもやって過ごしたらいいんじゃ無いかなあ。